大河ドラマ「光る君へ」で紫式部の生活が描かれるそうです。そこで平安時代はどのような特殊な文化があったのか、掘り下げてみます。
貴族は占い(陰陽道)で1日の行動を決める!
平安時代の貴族は、日々の行動や決定を行う際に、吉凶を判断するための占いや暦を重視していました。
出勤日:その日の占い結果が悪かった場合は、外出を取りやめ、仕事にさえ行かなかったそう。欠勤の理由として、当時は認められていたそうです。
お風呂に入る日:これも最適な日を選んでいたとされています。例えば、水難の相が出たらやめていたそう。タイミングを逃すと2か月髪を洗えない事態もあったらしいです。またお風呂はあまり頻繁には入らなかったらしく、入るとしても「蒸し風呂」だったとのこと。蒸し風呂で汗を浮かせてふき取る方法だったようです。蒸し風呂上がりに座るために敷いた布が「風呂敷」の語源だとか。
貴族に比べて、庶民は河原で沐浴する習慣があったので、庶民の方が清潔だったようです。貴族の間でお香が流行したのも、体臭隠しの意味合いがあったようです。そのほか、爪を切る日、髪を切る日も占い次第だったようです。
日常の外出:吉日を選んで出かけ、出かける方位も占い結果に従っていたそう。また、「物忌」といって人に会わず謹慎する期間が年に多い年は70日くらいあったらしいです。どうしても出かけなければならない時は、まず吉方位へ向かい、その後方向転換して目的地に向かいました。これを「かたたがえ」と言いました。貴族といえども自由度はかなり低そうな生活ですね。
政治的な判断:政治に占いが取り入れられていたのは有名ですが、陰陽師は当時「公務員」のような存在だったそうです。
和歌のうまさで出世する
平安時代に和歌が上手だった人は、社会的な地位や名誉を得ることができました。優れた和歌の才能は、教養や感性の高さを示すものとされ、宮廷や貴族社会において高く評価されたのです。出世するには絶対の教養だったのです。
また、恋愛関係を築くこともありました。そこから結婚に発展すれば、逆玉の輿に乗り、立身出世につなげることができました。土地は貴族にとって収入基盤でしたが、当時、土地を継承していくのは女性側の家だったそうです。
平安時代の結婚スタイル
当時は夫婦同居ではなく、女性宅に男性側が通う「通い婚」スタイル。女性は生まれ育った実家から出ませんでした。どうすれば「結婚」となるかというと、男性側が3日連続で通い、女性側が三日目に「三日夜餅(みかよのもち)」をふるまうと、そこで晴れて夫婦となったそうです。大々的な結婚式は行われず、花嫁の両親と一族にお披露目する程度だったとのこと。3日で夫婦とは、現代では考えられません…。
以上、現代とはかけはなれた平安時代の貴族の文化についてご紹介しました。この辺の特殊な事情も描かれているのでしょうか。